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■エッセイ36…2006年3月3日付長崎新聞「うず潮」掲載〜最終回
                   
                             


「月と暮らしていた (4)〜存在」  ヤマサキユズル
「月並み」はお月様のことではなく正岡子規ら俳句革新派が伝統的な俳句や俳句会を皮肉って「月並調」「月並み俳句」と言ったことに由来します。元々は毎月決まって行うことを言います。
地元エフエム局で週一回担当しているジャズ番組のため深夜スタジオに入ります。その冬の夜道で見た少し朧気味の九夜月はたいへん美しいものでした。人は刹那の美を何かで残したいと思うのでしょう。素敵な月の句はたくさんあります。「月見入る子が寝入れば月が顔照らす」 「寝床まで月を入れ寝るとする」など種田山頭火は月を多く詠んでいます。「菜の花や月は東に日は西に 蕪村」菜の花を前に東から出る月と西に沈む夕日を同時に詠んでいます。「月天心貧しき町を通りけり 蕪村」は真冬の貧しい家々に青白い月の光が降り注いでいる景色が浮かんでくる素晴らしい句です。「こんな好い月を一人で見て寝る 尾崎放哉」 こうしてみると日本人の月に対する思いは郷愁と詩情に溢れています。
古代人は月のことを「死ぬことのない生命の液体の杯」だと表現し、さらに「月下の地球で生育するあらゆるものに活力を与え、天界の不死の神々をも活気づけるもの」と表現しています。ガリア人(古代ローマ人は、現在のフランス地域をガリアと呼んでいた)は聖餐のパンを三日月型に作り、フランスでは今でも三日月型のパンを作り「クロワッサン」(三日月)と呼びます。欠けては満ちる月に不老再生の思いを寄せ、新しい生命を生み出す女性と月のイメージを重ねたのも自然だと思います。人類が最初に作った暦は古代ローマの太陰暦で月の満ち欠けが元になっています。
かぐや姫が月世界からやってきて月世界へと帰っていったように、この世でなすべき役割があるからすべてのものは存在しているのだと思えるようになりました。月は遥か彼方でわれわれが役割を終えるまで懸命に生き抜く様子をじっと見つめているようです。
(「月の美術館」館長、長崎市)

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