■エッセイ35…2006年2月1日付長崎新聞「うず潮」掲載

| 「月と暮らしていた(3)〜未完の美」 ヤマサキユズル 月の美術館に来られた方から「満月の絵は少ないですね」と言われることがあります。そんな時には「満月は一瞬です。お月さまは満月じゃない時の方がほとんどですから」とお答えします。満月はほんの一瞬で、そのほかのほとんどの時は欠けた状態にあります。つまり月は未完の美そのものといえるでしょう。わが国独自のものといわれる十三夜の観月行事も、満月の二日前の未完の月を愛でる行事です。未完の美を愛でるという日本人の美意識は素晴らしいと思います。 桂離宮は月の出を待ち、月を眺めるという文化から生まれました。金閣寺や銀閣寺も同様です。重要文化財の通称「作庭記」には楼閣の楼というのは観月のための建築だと記されています。床を高くして少しでも早く月の出を眺めようと工夫し、軒を短くして中天に輝く月を眺めやすいように、さらに池を造り舟に乗っても月を眺められ、水面に映りこむ月までも楽しむようにと月に対する思いは尋常ではありません。 松尾芭蕉は「月を侘び、身を侘び、拙きを侘びて、侘ぶと答へむとすれど、問ふ人もなし、なほ侘び侘びて、 侘びて澄め月侘斎が奈良茶歌」と自身の生活について記しています。奈良茶とは東大寺などで食する茶粥のことで煎った大豆や小豆などを入れた粥で質素な食事のことです。月侘斎とは侘び住まいの芭蕉自身を指しています。未完成の美である「あわれ」「侘び」「幽玄」を未完成の月で表現したのもうなずけます。 花鳥風月と言われるように日本人にとって月は自然の美の中で芸術のテーマ上重要なものです。最古の歌集「万葉集」や「新古今和歌集」、さらに花の歌人といわれる西行の「山家集」でも花や風や雪などと比べても月の歌が一番多いそうです。 夜間の明かりとして、暦として、信仰として日本人の生活の中に欠かせなかった月を眺めるという習慣も現代にあっては都会の明かりの中に忘れられているようです。 (「月の美術館」館長、長崎市) |