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■エッセイ34…2006年1月4日付長崎新聞「うず潮」掲載
                   
                             


「月と暮らしていた(2)〜月の旅人」  ヤマサキユズル

 前回「月待ち」について書きましたが、昔から月の出を拝むことに熱心だったことが伺えます。月の出を立って待つから「立待月」、座って待つ「居待月」、寝て待つ「寝待月」あるいは「伏待月」、さらには川岸などで待つ「瀬待ち」、月の出る方に歩きながら待つ「迎待ち」などいろんな待ち方があります。民俗学者の柳田国男は「待つ」とは「祭り」のことで神様と一緒に食事する祭り本来の形だと述べています。

 さてそんな月までの距離は約38万kmあり人間が歩く速度だと11年、自転車だと3年、時速200kmの新幹線でも80日、音速のジェット機では13日、光の速度でも1.3秒かかるそうです。
夜空に輝く月を眺めていると心の中での対話が始まります。自分というこの存在は何?自分は何のためにいるの?時間や雑事に追われている自分をお月様の高さから客観的に眺めることできるのでしょうか。ともあれ人は自分の存在意義を確かめることから本来の人生の歩みが始まるのだと思います。

 松尾芭蕉は西行の足跡を追い求め、幽玄の美を求めて旅に出た俳人です。江戸時代の旅は今と違って命がけでした。旅は過去を清算して再生へと向かうことだと考えると月の存在と重なります。「奥の細道」の旅の途中、元禄2年8月14日の夜に芭蕉は15句詠んだと伝えられています。実際観月のための旅をして月を詠んだ句が数多くあります。

 芭蕉の「名月や池をめぐりて夜もすがら」のイメージから絵が生まれました。仲秋の名月を眺めながら池の周りを歩いていたらいつの間にか夜が明けてしまったという句です。この「池」は、あの「蛙飛びこむ」古池と同じで芭蕉庵にあったものです。

 ボクの描く絵は目に見えない心の月世界を描いていますが、月を描くことも自分を見つめることになっています。月の美術館では1月29日(旧暦正月元旦)から「月の旅人」というテーマで月の絵画新作展を開催します。(「月の美術館」館長、長崎市)

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